ケニア、マサイマラのあるサファリホテルで、誰かが部屋に置いて行った小説「キリマンジャロの雪」の日本語訳を読んだことがヘミングウェイ翻訳の動機です。ナイロビのケニヤッタアベニューで買った原書のThe Snows of Kilimanjaroや私の知る限りのサバンナとなんだかずいぶん違うと思ったからです。
ケニアのマサイマラとは地続きだが、ヘミングウェイが多くを過ごしたタンザニア側のセレンゲティに行ってみよう。
当時東アフリカの野生動物保護に多少係っていた私は、計画もなしにウイルソン飛行場からキリマンジャロを越え、大移動するウィルデビーストの群れを分けてセレンゲティのサバンナに降り立ちました。なんとかなる。荷物を持たないサファリスーツだけの私が一人で草原にぽつんとしていると「クリワナ シンバ、ライオンに喰われるぞ」白髪白髭の白人サファリガイドがランドローバーを寄せてきました。
キモン グレゴリアスです。何年ぶりでしょう、ヘミングウェイのサファリに随行したレジェンド、かつての少年ハンター、あのキモン グレゴリアスです。幸運でした。
彼の助けを借りて昼はランドローバーでヘミングウェイの足跡をたどり、夜はキャンプファイアーを囲んで、ヘミングウェイ談義に花を咲かせました。
そんな楽しいサファリを過ごしてから、私はThe Snow of Kilimanjaroの新翻訳に取り掛かりました。 サファリとはスワヒリ語で単に旅行を言うのですが、いつの間にかハンティングとかゲームウォッチングの意味に使われるようになったのは、ヘミングウェイの影響なのかななどと思いながら原稿を書き終えました。
しかしその原稿を見た大手出版社の社長がとても難色を示しました。今までの訳と大幅に違うからです。版権元が了解しなければ出版は出来ません。しかもこの作品は第二次世界大戦中に発表されたので、日本における著作権は戦争加算期間を入れると、なんと東京オリンピックが終わるころにならないと自由に出版が出来ない事が分かったのです。そしてその原稿は二回目のオリンピックが終わるまで、デスクの引出しで眠る事になったのです。
同じような作品でパブリックになっているヘミングウェイの作品はないだろうか?色々調べてみると、死後50年経過しているので色々ありました。そして私はそのなかで、このThe Old Man and the Seaを選びました。なぜならThe Snows of KilimanjaroとThe Old Man and the Sea はとてもよく似ているからです。本の厚さも長い短編と短い中編とでそう変わりはありません。東アフリカのサバンナを西インド諸島やメキシコ湾に置き換えて、陸上動物を海洋生物にすればまるで親子の様な作品です。一方がサファリ猟師とその妻の小説なら、他方はカジキ漁師と若者の話です。そしてその共通のテーマは生と死です。
ヘミングウェイは初めての東アフリカでのサファリの後、The Snow を発表したのですが、その後、約18年の年を経てThe Old Man を発表したのですが、発表後、再び東アフリカに足を向けたのです。ですから、作者の断ちがたいアフリカの思いが絆となって二つの作品を結び付けていると考えて良いと思います。The Old Man が毎晩ライオンの夢を見るように、ヘミングウェイは 未完成だったThe Snows of Kilimanjaro の作風を18 年間かけて研ぎ澄ませて、ついにノーベル賞の高みで輝かせたのです。
まさにThe Old Man はThe Snowをブリリアンカットして完成させた最高傑作とたたえてもよいでしょう。
では、翻訳を先に発表することにしよう。私はそう考えて、翻訳の大御所、サイデン ステッカー先生にそれを打ち明けました。浅草の三社祭の人混みの中でした。
「日本人の本訳家がアメリカンイングリッシュのスラングやヘミングウェイの掛詞、洒落を訳しきれないのは仕方がないかもしれないが、アメリカンフットボールやアウトドア―、それに、たまには教会に行かなければ、The Old man and the Sea は訳せませんよ。だからデリケートな部分はまだしも、まわり舞台が反転してしまうような今までの誤訳のため、ヘミングウェイは日本人に誤解され曲解されているのです。訳し直してください。Go for it !」
確かに The Old Man and the Sea もThe Snows of Kilimanjaroの日本語訳 に劣らず辻褄が合いません。なんと、The Old Manが後ろ向きに座って小舟を漕いでいるからです。これでは朝日に背を向けて漕いでいることになるか、さもなければメキシコ湾流に逆らって西に漕ぎ出ることになります。それでは朝日がまぶしくない事になりますし、海流に逆らっては冲に出られません。leaning forward against the
the thrust と書かれていますから、漕ぎ手は櫂を押しています。
実際に南洋の漁師は前を向いて立って漕ぎます。コヒマルの漁師もその例外ではありません、確かにハリウッド映画The Old man and the Sea 役のSpencer Tracyは後ろを向いて漕いでいます。それが日本の翻訳家を惑わせたのかもしれません。ハリウッドはその後、Anthony Quinnを主役に立てて再上映していますが、今度は正しく前を向いて漕いでいましたが、依然としてThe Boyは14,5才の少年に描かれています。老若二人の海の男より、老人と子供の組み合わせの方が感傷的で大衆受けするからでしょう。
そんなハリウッドの脚色に対してヘミングウェイもたいそう不満だったと聞いています。
事実、作者は原文中でThe Boyに、自分の年はDick Sisler の父親がJorge Sisler がメジャーリーグで活躍し始めたころと同じだと語らせています。
イチローに抜かれるまで年間最多安打の記録を誇っていたあの大選手、ジョージ、シスラーはミシガン大学を卒業して22歳でセントルイス、ブラウンズに入団していますから、子供であるはずはありません。
BoyはThe Snow of Kilimanjaro でもサファリに帯同して何人か出てきますが、Boyは下働き労働者の呼称です。若い者とか、若い衆と訳すべきですが、本訳では南紀のカジキ漁の尾上徹夫名人の言葉を借りて和歌山弁で「若いし」としました。
その南紀の漁師は年配の漁師を「じさま」と呼んで尊敬します。コヒマルの漁師が標準語を話すのも奇妙なので、本訳では南紀の言葉と関西弁を混ぜて登場人物に語らせていますのでThe Old Manは爺様としました。
そもそもHemingwayは友人や妻をOld CompyとかMy old Pauline とか親しみを込めて呼んでいるし、彼にはMy Old Man(俺の親父)と言う作品もあります。これも決して(私の老人)と言う意味ではありません。
さて、そのOld Man とBoyの漁場はハバナとフロリダの間のGulf、メキシコ湾ですから、この物語を訳すには、この海域の様々な生物と独特な風景を理解しなければなりません。
本訳では、コヒマル漁港、カサブランカ、シエンフエゴス、グアナバコアの地図、海藻、クラゲ、魚、海鳥、ウミガメやサメたち、そして小舟と漁具を簡単にイラストレートしました。銛や釣綱を操るOld Manの動きも海釣りやロープワークを知らなければその情景が浮かばないと思いますので、読者の皆様のために文中でダミーにロープを持たせたイラストを用意しました。三日に及ぶ巨大マーリンが小舟をどこまで曳いて行ったか、仕留めたあと爺様はサメと戦いながらどう帰港したかも地図上に描きました。そしてその地図の場所場所で繰り広げられ命の旅をヘミングウェイの文章を尊重し、そのリズムをなるべく壊さないようにしたつもりです。ピリオドからピロオドまでの英語を、マルからマルまでの日本語に訳し、決して文書を分断せず、また繋ぎ合わせることもしない直訳を心がけました。したがって原文のピリオドの数と、日本分のマルの数はほとんど同数になっているはずです。
キューバを北に臨むバルボアの酒場から始まったこの作業は、他の仕事の合間あいまではありましたが、ふと気がついたら、The Snows of KilimanjaroとThe Old Man and the Sea の間に生じた年月と同じく、出版まで、なんとおなじように十八年の歳月が経っていたのです。